top of page

私の中国語学習の履歴

 

1年目
その年私は某大学の中国語学科に運良く合格し、入学しました。当時から就職のことが頭にあったので、必ず中国語を喋れるようになって、就職しようと考えていました。最初に授業で使う教科書を色々購入したのですが、中学1年生用の英語の教科書と違ってかなり本格的で、“これだけあれば喋れるようになるかも!”と本気で思いました。結論から言えばそれは大きな間違いだったわけですが。最初の半年は発音練習で終わったような気がします。ピンインについてはそれほど難しいとは思いませんでした。(実際には無気音(bo)と有気音(po)、前鼻音(-n)と後鼻音(-ng)などは今でも難しいです)むしろ声調が難しくて、中々上手くできず、かなり一生懸命練習しました。でもこのときよく発音を練習したのが後になって効いて来たなと思います。声調を含めた発音が上手くできないと、後になって伸び悩んでしまうのです。また発音を初めとして、勉強は教科書の音読が中心になったのも良かったと思います。中国語は漢字なので、英語のようにスペルを書いて覚える必要もありませんし。残りの半年は授業の他に、自分で市販の初級向け日常会話のテキストを購入して音読したり、文法書を読んだりしていました。もうひとつ、電子辞書を買ったのも良かったと思います。当時同級生たちのほとんどは、あの小学館の分厚い中日辞典を薦められて買っていましたが、私は奮発してSONYの電子辞書を買ったので、辞書を気軽に何度でも引くことができましたし、日中辞典もよく引いたと思います。

そして中国語学習に対する意識を完全に変えたのが春休みに行った一週間の台湾旅行でした。(私にとっては初めての海外旅行でした。)日本語が堪能な台湾人留学生の友人と行ったのですが、彼は空港に着くなり次々と地元の友達を紹介して、私が中国語を話す機会を与えてくれたのです。しかし結果は無残でした。まず当時の私はすごく簡単なことしか喋れませんし、たとえそれを相手に伝えることができても、相手の言っていることが全く分からないのです。それも自分がすでに日本で勉強した簡単な単語やフレーズでさえです。その一番大きな理由は発音の違いでした。台湾の國語は、大学で学んだ大陸の普通话と発音が微妙に違うのです。今の私はどちらの発音も聞き取れますが、当時の私にとっては全く別の言語のようでした。それでも宿泊先の友人の家で、その弟さんと辞書を片手に頑張ってたくさん話をしました。外国語をたくさん喋ったのは初めてだったので、実際に頭が痛くなってしまいました。他にもお母さんや友達と色々話をして、すこし脳に中国語の領域が出来たと思います。つまり、まず日本語で考えてそれを中国語に訳してから話すのではなく、かなり少ない語彙ではありましたが、中国語で考えて中国語で話す回路です。それで外国語を話すことがどういうことなのか、多少なりとも身をもって体験できたのです。また、台湾の漫画喫茶(のような所)に連れて行かれた私は、そこで大量の中国語に翻訳された日本の漫画を見て驚きました。読んでみると、使える日常会話表現が満載で、すぐに本屋に行って漫画を十数冊購入してしまいました。漫画は日常会話表現を覚えるのに最適で、今でも博客來網路書店で購入しています。台湾の本屋には日本語のテキスト(中国語の訳文付き)がたくさんあって、こちらも何冊も購入しました。当時日本の中国語のテキストは種類が豊富でなく、実用的なものが少なかったので、日常会話を重視した台湾の日本語のテキストはかなり魅力的でした。実は現地のテレビ番組も録画して、日本に持って帰りたかったのですが、友人の家にはビデオデッキがなく、果たせませんでした。こうして台湾旅行で中国語を話すということがどういうことなのかが何となく分かり、帰国後の学習方法に影響を与えました。それはつまり会話を重視するということです。文法を勉強するのも、語彙を増やしたり、成語を覚えたりするのも全て会話の為という考え方です。また、現地で購入した漫画や日本語の教科書(の中国語の訳文)を帰国後も何度も読み、使えそうな表現はワープロで打ち出して、ピンインや声調記号を振って音読して、日本で市販されている教科書には載っていない表現をたくさん学ぶことができました。


2年目
2年次の授業が始まるに当たり、北京から来た中国人の先生が学生に紹介されました。その時この先生は中国語で自己紹介をしましたが、ほとんど聞き取れた自分に驚きました。実際は先生が至極平易な中国語で自己紹介をしたからこそ、私にも聞き取れたのですが、台湾で発音の違いにかなり悩まされた私にとっては、すこし救われた感じがしました。2年生になってから急に教科書も単語も文法も難しくなったような気がしました。それに対して私は、例えば“与其~不如…”というような所謂「虚詞」を習うと、学校の図書館に行って、図書館中の中国語辞典で与其を調べて、ノートに例文を書き出しました(*1)。さらにそれをパソコンのワープロソフトで入力して、印刷したものに声調記号を振って、何度も音読しました。もし例文の中に新出単語があれば、それも調べて、余白に例文を書きました。このように例文をたくさん書き出して音読することで、語法をネイティブに近い感覚で理解することが出来ました。こうして代表的な虚詞をこのような方法で身に付けると、中国語が話しやすくなって来たのです。その頃私は大学の図書館には色々有益なものがあることに気付き、入り浸るようになりました。分厚い辞書(例えば成語大辞典)もそうですが、他にも中国の短編小説や随筆を載せた現地の月刊誌や、文汇报のような中国語新聞です。試しに読んでみると、意外と理解できたので、継続して読むようになりました。英語を勉強して2年目で英字新聞を読む人はほとんどいないと思いますが、中国語は漢字ですので、日本人である私は突然中国語で書かれた新聞を読んでも、大意を理解することができたのです。もちろん前提として、虚詞をよく学習していたというのもあると思います。

*1 現在では電子辞書の例文検索機能を使えば一瞬で“与其”と“不如”を含む例文を検索できます。

中国語新聞を読み始めた私ですが、図書館にある新聞よりも、池袋や大久保で無料で配られてる在日中国人向けの新聞の方がよっぽど面白く、読み応えがあることに気付き始めました。これらの新聞は中国人が集まるレンタルビデオ屋(*2)やレストランに置いてあり、内容は日本のスポーツ新聞のように、政治経済から有名人の醜聞まで載っています。また紙の媒体だけでなく、台湾の民視新聞電子報などのメールマガジンを購読したり、日本のNHKやカナダのRCIの中国語ニュースをオンラインで聴取するようになりました。この2つはニュースのスクリプトがアップロードされているので、スクリプトを見ながらニュースを聴けるのです(*3)。当初無料の中国語新聞が目当てでレンタルビデオ屋に行っていましたが、やはりビデオを借りて見たくなり、会員になってしまいました。最初は何を考えたのか字幕のないドラマを借りてしまい、全く聞き取れませんでした。そこで中文字幕付きのドラマ(「人間四月天」という作品)を借りましたが、実際に見てみると台詞のスピードが速すぎて全く字幕に追いつけず、もはや一体何の為に字幕があるのかわからない程でした。それでも数ヶ月かけて頑張って見続けましたが、最終話の頃にはとりあえず字幕を追えるようにはなれました。

*2 YouTubeなどの台頭で、現在はこれらのレンタルビデオ屋は街から消えてしまいました。

*3 現在ではほとんどのニュースサイトで中国語のスクリプトを見られます。

2年次も終りに近づいた頃、学内で3年次の単位互換留学の説明会がありました。1年間北京へ語学留学し、帰国後は4年生になれるというものです。留学は大変魅力的でしたが、私は日本で中国語を頑張ることにしました。留学しないと決めた理由は、お金とか、留学帰りの先輩の中国語が大して上手くないとか色々ありましたが、一番大きな理由は「就職活動」でした。就職活動は3年次の夏休み明けには本格化し、4年生になった頃にはもう内定が出ます。留学すると就職活動に出遅れ、就職戦線で圧倒的に不利になるのです。実際私の大学の留学帰りの先輩方の内定率はあまり良くありませんでした。それで私は3年次は取れるだけ単位を取って、内定も取って、4年次にはほとんど学校に行かず、家でひたすら中国語の勉強に明け暮れて、卒業後の仕事に備えようと考えたのです。

春休みに2度目の台湾旅行に行きました。今回も台湾人の友人の家に宿泊させてもらいましたが、前回と違ってビデオデッキがあったので、現地のテレビ番組を色々録画してきました。また前回同様に本屋で大量の日本語の教科書と漫画を購入しました。日本語の教科書に関しては、前回よりもハイレベルなものを選びました。3年目は台湾で手に入れたものを教材にして、勉強していくことになります。


3年目
3年生になり就職活動を控えた私は、履歴書に資格を書き込むために受験します。まず春にTECCと HSKを受験することにしました。どちらも特に何も対策をしませんでしたが、結果はTECCが600点台、HSKは7級でした。HSKに関しては聴解のみ6級で、それ以外が8級だったので、総合成績は7級でした。ですから、半年後の秋の試験に備えて聴解を鍛えれば、8級は取れると思いました。そこでHSKの教材を購入し、聴解問題を解いてみたのですが、自分が聞き取れない単語の中には儿化音が多いことに気が付きました。しかも問題文の台本である录音文本には儿化音がないのに、テープの音声は儿化しているのです。これには正直困ってしまいました。こうなればもうできるだけ多くの儿化音を聴いて慣れるしかありません。もちろんただ単に自分の語彙が少ないことにも気付かされました。それで私はHSKの聴解問題の中でも長文問題を中心に勉強し、新出単語を調べ、長文の朗読だけを集めたテープを編集して何度も聴き、また音読しました。これにより様々な分野の語彙を身に付けることができたと思います。HSK対策に平行して、インターネットで中国語のニュースを聴取したり、漫画や新聞を読んだり、ドラマを見たり、中国人の先生や友人と中国語で話をしたりしました。また中国人の友人に中国語で電子メールを書いて、それを添削してもらったりしました。このように日本に居ながら、できるだけ中国語に触れるようにしたのです。そして秋の試験で、TECC900点台後半、HSK8級を取れました。HSKを受験する前は、8級というのはかなり高いレベルで、何年も留学しないと取れないと思ってました。ところが実際は1回目の受検で突然7級を取れて、半年後にはもう8級が取れてしまいました。それなのに自分の中国語はまだまだ下手で、とても満足できるレベルではありませんでした。それで私は中国から現地の留学生が使っている口語の教科書を取り寄せたりして、大学の授業・就職活動と平行して、引き続き中国語を勉強しました。


4年目
4年生になってすぐ内定が取れて、大学生活の最重要事項であった就職を果たせることになりました。これでもう心置きなく中国語の勉強に集中できます。といっても特別なことはせずに、3年目と同じやり方で勉強していました。7月にひとりで10日間の北京旅行に行くことになりました。北京には特に友達もいないので、1泊2千円程の二星级饭店に滞在しました。7月の北京はとても熱かったです。昼間から羊肉串を片手にビールを飲む自堕落な旅でした。今回の旅の目的は、社会人になる前に思いっきり自分を開放するというのと、教材の購入でした。王府井や西单の大型書店や、北京語言大学の本屋に行って、中国語の教科書とテープを大量に購入しました。他にも卒業後に就く仕事に関連する本や、ピンイン付きの中国の歴史の本など、色々購入しました。次にいつ北京に行けるか分からないので、その後数年分の教材を買いました。日本に戻ってから、これらの教材を使って自宅で学習を進めました。

 

各種検定試験の受験記録
1998年04月:某大学の中国語学科に入学。中国語学習を開始。
2000年05月:HSK初中等7級(听力65c/语法87a/阅读100a/综合88a//总分341a)
2000年06月:TECC620点(L314/R306)
2000年11月:HSK初中等8級(听力80b/语法83a/阅读99a/综合90a//总分353a)
2000年11月:TECC959点(L495/R464)
2000年11月:中検準2級 合格(L95/R91)(注:現在の中検2級)
2002年04月:某社に入社。海外営業部配属。業務で中国語を使用。
2003年07月:TECC922点(L479/R443)
2005年07月:某社を退社。
2005年09月:通訳案内業試験1次試験 合格
2005年10月:HSK初中等8級(听力84a/语法97a/阅读94a/综合85a//总分357a)
2005年10月:中日通検2級 合格(笔试A/听译考试B)
2005年11月:中検準1級 合格(L78/R80)(注:合格基準点はLR共に70点)
2005年12月:通訳案内業試験2次試験 合格
2005年12月:TECC990点(L499/R491)
(日付は受験日であり、認定日ではありません。)

bottom of page